逆転人生オリセットネットはどうやってできた?シャロンストーンが言った天の声とは?
9月14日の(逆転人生)は,マラリアからアフリカを救った日本人が 登場します。
住友化学の伊藤高明さん、奥野武が登場します。
とっても、感動する話しです。
ご紹介します。
オリセットネットは「売り手よし、買いてよし、世間よし」
◇住友化学は、世界のベストセラーであった、マラリア対策の殺虫剤、「スミチオン」が売上が落ちていて、困っていた。
1980年代のこと。
◇この苦境をなんとかしたいと川崎さんが相談したイギリスの医学研究所の博士が,蚊帳を使ったマラリア対策がアメリカが実施しており、注目されてると、アドバイス。
◇アフリカの広大な土地に、発生源もはっきりしないまま、殺虫剤を蒔き続けるより、人に寄ってくる蚊を殺す方法が注目されていた。
◇蚊帳に殺虫剤を染み込ませておけば、蚊の絶対数を減らすことができるとの推測による。
◇しかしアメリカの開発した蚊帳は、殺虫剤を浸しただけで、半年ごとに再処理が必要だった。
◇伊藤さんは、樹脂の中に殺虫剤を練りこんで、少しずつ滲み出てくるようにすれば、長く使える蚊帳ができるのではと、思いついた。
奥野さんに相談
◇相談された奥野さんは、商売にならないと、乗り気ではなかった。
◇しかし、伊藤さんの熱意に負けて奥野さんは、何年も殺虫効果が続く樹脂を作ることに成功した。
◇伊藤さんは、蚊は網目を通る時、羽を広げた状態で通ろうとすることを、発見。
暑いアフリカで蚊帳の中を、少しでも涼しくするため、網目を少し大きくする事ができた。
⇨オリセットネットの完成‼️
◇出来上がった蚊帳を、日本の政府開発援助担当者やJIKAに説明したが、良さをわかってもらえず。
◇アフリカの現地で効果を実証する必要があると考えて、「小規模援助」を利用。
これは、各国の日本大使が、自分の権限で人道支援を実施できる仕組み。
◇5年ほど、43カ国に蚊帳が現地で使われるようになった!
◇マラリアの院内感染が明らかに減少したと、報告が来るようになった!
◇しかし、1990年、アメリカからクレームが来た⁉️
◇せっかく、うちらが自分のたちで、再処理するよう、啓蒙してるのに、再処理しなくても良い品を作ってるなんて、けしからんじゃないか
◇アメリカが、マラリア対策の主導権を握っていたため、各国からの注文が激減
◇川崎さんも奥野さんも、他の部署へ移動となった
◇オリセットネット事業に一人残った伊藤さんは、あきらめなかった
◇WHOの認定を受ければ、道は開かれるはず
◇認定には3年の年月と数百万の費用が必要だった
◇申請を受けたWHO の職員、ピエール博士は今までの蚊帳が再処理が必要なため、普及の妨げになってるのを理解していた。
◇2001年、ピエール博士は7万張りもの、蚊帳の発注をしてきた
◇伊藤さんは、違う部署にいた奥野さんを戻してもらい、年間10万張りの生産体制を整えた。
◇WHO はさらなる、要求をしてきた。
◇蚊帳生産の技術を無償で供与してほしい⇨殺虫剤の販売だけで利益は確保できるのではないか
◇2005年には、タンザニアの工場で300万張りの生産ができるようになった。
◇マラリアにより死者は、100万からの60万に減少している。
オリセットネットは2004年最も驚くべき発明の表彰を受けていた
ダボス会議は、国際社会を代表するする政治家や実業家が年に1回、討議する会議。
2005年、タンザニアの大統領が「この瞬間にも、たくさんの子供達がマラリアで亡くなっている。
今すぐ助けが必要です」と訴えた。
すると、シャロンストーンが「私が個人で1万ドルを寄付する。
他に賛同する人は?」
この呼びかけに、ビルゲイツなどが賛同し、あっという間に一億円相当の寄付が集まった。
シャロンストーンが、このような呼びかけをしたのは2004年、「TIME」から、「驚くべき発明」の
表彰を受けていたからなんです。
この情景は映画のようだったでしょう。
シャロンストーンは、美しいが、内面もそれは 同じなんでしょう。